History
沿革
4つのストーリー
自修学校として創立
男女共学・英語教育・校章等
時代を先取り
足柄上郡上曽我村(現小田原市上曽我)の瑞雲寺にあった自修学校は女子生徒も受け入れていました。当時では尋常・高等小学校以上の男女共学は画期的でした。また、英語教育に力を注ぐとともに、校章は、当時漢字が主流の中、自修学校の校章はイニシャルのJとSを組み合わせた非常に画期的なものでした。卒業生の就職先として国鉄関係が非常に多く、世間からは“国鉄学校”と言われていたそうです。
湘北中学校・湘北高等学校の時代
高い大学進学率、活発なクラブ活動
建学の精神、先取りの精神を継承しながら、1941年(昭和16年)に湘北中学校・湘北高等学校へと校名変更して更に発展しました。昭和25年頃の生徒数は350人程度で大学進学率は約30%以上と当時にしては非常に高い状況でした。また運動部・文化部ともクラブ活動も大いに盛んだったといわれています。しかし、その後交通の不便さなどから入学者数が徐々に減少し、学校として大きな転換期を迎えることになりました。
向上高等学校の時代
新たな教育への取り組み
1965年(昭和40年)、宮崎道世先生が学校長に就任し様々な改革に取り掛かりました。向上高等学校に校名を変更し、当時流行の最先端であったアイビー調のブレザーを制服として日本で初めて導入し、マスコミに「制服革命」として大きく取り上げられました。また、校舎を伊勢原市へ移転し、奉仕活動に積極的に取り組むとともに、修学旅行にあたる「心の旅」では、当時まだパスポートが必要だった沖縄に行っていました。その後、「心の旅」は、当時まだ国家間の関係が安定していなかった韓国へ日本で初めて学年単位で訪問するなど、国際交流の取り組みは更に活発になっていきました。
自修館中学校の設立
伊勢原の奇跡
1999年(平成11年)に自修館中学校を開校し、2001年(平成13年)には6年一貫の自修館中等教育学校へ移行しました。自修館中等教育学校は「生徒に合わせて50分・80分の2種類の授業時間がある」「四季のリズムにかなった3ヵ月を基本単位とする4学期制」などの斬新な運営が話題となり、伊勢原の奇跡としてマスコミにも取り上げられました。現在、学校教育の中で重きを置かれるようになっている、探究的な学びを創立当初から重視しゼミに分かれた少人数の活動や国内外におけるフィールドワークなどを行ってきました。
年表
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1907年[明治40年]曹洞宗瑞雲寺住職 大井龍跳氏が瑞雲寺(現小田原市上曽我)に自修学会を組織
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1910年[明治43年]自修学校開校
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1941年[昭和16年]湘北中学校に改名
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1948年[昭和23年]湘北高等学校設立
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1951年[昭和26年]学校法人自修学園に組織変更
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1954年[昭和29年]自修学園幼稚園設置
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1965年[昭和40年]向上高等学校に校名変更
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1966年[昭和41年]自修学園幼稚園を向上幼稚園に園名変更
法人名を自修学園から向上学園に変更
向上幼稚園を中郡伊勢原町(現伊勢原市)沼目に移転 -
1967年[昭和42年]向上高等学校を中郡伊勢原町(現伊勢原市)沼目に移転
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1968年[昭和43年]向上高等学校を中郡伊勢原町(現伊勢原市)上の台に移転
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1971年[昭和46年]向上高等学校を伊勢原市沼目に再度移転
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1984年[昭和59年]向上高等学校を伊勢原市見附島に移転
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1989年[平成元年]向上幼稚園を伊勢原市見附島に移転
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1998年[平成10年]向上幼稚園廃園
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1999年[平成11年]自修館中学校開校
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2001年[平成13年]自修館中学校を自修館中等教育学校に組織変更
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2010年[平成22年]向上高等学校創立100周年
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2020年[令和2年]向上令和グラウンド(野球場)完成
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2023年[令和5年]自修館中等教育学校25周年